古銭買取2021年12月23日

天保小判金の価値や買取相場は?小判・大判の種類や歴史も詳しく解説!

天保小判金は、主に江戸時代に流通していた小判です。

今もなお国内外で人気の高い古銭であるため、高価買取が期待できます。

天保小判金を持ちの方は、ぜひ高価買取満足度No.1のウリエルをご利用ください。

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天保小判金について

慶長大判

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%
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徳川家慶が江戸将軍に就任した天保8年~安政5年まで製造されたのが天保小判金です。

額面は一両で、表面には元号の一文字である「保」が記されていました。

そのため、「保字小判」という愛称でも知られています。

発行の歴史

天保小判の鋳造が始まるまでは「文政小判」が流通していました。

江戸幕府の財政難に伴い、文政小判に使用される金の割合が60%以下に抑えられていたため、より高い価値のある小判を発行するために登場したのが「天保小判金」です。

しかし、それは表向きの目的であり、幕府の財政難をカバーするために多くのお金を鋳造するのが本当の狙いでした。

そのため、1度すでに流通している文政小判を回収して、それを溶かして元の小判よりも軽い天保小判に作り直したのです。

お金を作り直すことで財源を増やす「ローラー」や「吹き替え」、「改鋳」と呼ばれる延金手法が行われた初めての小判でもあります。

デザイン

天保小判金のデザインで特徴的なのは、表面に入っている横向きのしま模様です。

井草などを使って作られる織物の「ゴザ」にちなんで「茣蓙目(ござめ)」と呼ばれています。

小判の上下には桐紋の図柄が描かれていて、その下に書かれている「壹两」という文字は「一両」を旧字体で表したものです。

裏面には小判の鋳造を行う役所の当主の名前である「光次」や、製造者や製造所による検品証といった、小判の品質に関わる印が入っています。

さらに「保字小判」と呼ばれる由来でもある、元号の天保を表す「保」の文字も裏側に記されています。

天保一分判金とは

徳川幕府の時代、金貨は小判の他に「二分金」「一分金」「二朱金」「一朱金」がありました。

価値は以下の通りです。

二分金2枚で一両(小判1枚分)
一分金4枚で二分金2枚分
二朱金8枚で一分金4枚分
一朱金16枚で二朱金8枚分

一分判金は長方形の形をしていて、扇や桐紋が描かれています。

そして裏側には小判と同じく「光次」の文字や花の模様がデザインされているのが特徴です。

天保小判金の価値と買取相場

いろいろな古銭

天保小判金の買取価格は、一般的に10〜50万円程度が目安です。

素材に金が使われていることから、古銭としての価値だけでなく素材の価値も査定に含まれます。

そのため、銀や銅などを使った古銭に比べると買取価格が高くなる傾向にあります。

※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。

「献上小判」は特に価値が高い!?

天保小判金は「金座」と呼ばれる機関が製造や流通を管理していました。

その金座から、徳川幕府に献上していた特別な小判が「献上小判」と呼ばれるものです。

献上小判には製造者の印として「大」という文字が、製造所の印として「吉」という文字が入っています。

合わせて「大吉」になることから、とても縁起がよいものとして今も珍重されていて、本物の献上小判の天保小判金は、買取査定金額が数十万円を超えることも少なくありません。

天保小判金にはレプリカと贋作がある!

天保小判金は日本だけでなく海外でもとても人気があります。

そのため、コレクションアイテムやインテリアとして手に入れたいという人も少なくありません。

そんなニーズに対応するために、天保小判金はレプリカも流通しています。

一方で、その人気ぶりから本物の天保小判金だと偽っている偽物も出回っています。

天保小判金の贋作はとても精巧につくられているため、プロでも見極めが難しいと言われるほどです。

大判・小判の偽物の見分け方

大判や小判は、その真贋を見分けるのが難しいものがほとんどです。

見分け方の一つに、磁石を使って確認する方法があります。

金・銀・銅は磁石に反応しないので、磁石にくっつく大判・小判は偽物の可能性が高いと言えます。

とはいえ、作られた時代によっては金・銀・銅以外の素材も混ざっているので、磁石に反応する可能性もゼロではありません。

また、金で作った大判・小判は重みがあります。

本物と比べた時に重さが違う場合には、その貨幣は偽物かもしれません。

古いお金に詳しい人でなければ価値を正しく判断するのは難しいので、大判や小判が手元にある場合には、買取専門店でプロの査定士に詳しく見てもらいましょう。

天保小判金を高く売るポイント

猫に小判

きれいな状態を保つ

100年以上前に作られた天保小判金を高く売るためには、少しでも綺麗な状態で保管しておくことが大切です。

ホコリや直射日光などを避けるために箱に収納し、通気性のよい場所に保管しておくことをおすすめします。

また、強く擦ったり洗浄剤を使って洗ったりすると、小判が傷んでしまう可能性があります。

もし買取査定に出す際に汚れに気付いても、表面のホコリを払う程度にしておきましょう。

買取専門業者に依頼するのがおすすめ

天保小判は古い時代の貨幣なので、専門的な古銭の知識をもった人でなければ正しくその価値を判断できません。

また本物だけでなく、レプリカや贋作もあるので、古銭の買取査定に慣れた信頼できる業者に依頼するのが安心でしょう。

フリマアプリやリサイクルショップなどで手軽に買い取ってもらえる方法もありますが、安い値段を付けられてしまう可能性があるので要注意です。

正しい査定が期待できる、買取専門業者を選んで査定を依頼しましょう。

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小判ってどんな貨幣?

小判

小判が最初に発行されたのは1601年のことで、徳川家康が全国に流通させるために鋳造させたのが始まりです。

楕円形で横向きのしま模様が入った金貨で、江戸時代の年号が変わるごとに新しい小判が発行されました。

また、手書きで印を残していた大判とは異なり、小判は「極印」と呼ばれる箔押しのような手法で真贋を示しました。

そのため、大判に比べて買取価格は低い傾向にあります。

小判の歴史

日本全国の貨幣単位が統一されたことで登場した小判は、徳川幕府によって発行されました。

額面は一両の貨幣です。

・慶長小判
・元禄小判
・宝永小判
・正徳小判
・享保小判
・元文小判
・文政小判
・天保小判
・安政小判
・万延小判

元号が変わるごとに発行されたため、10種類の小判が作られました。

基本的なデザインは同じですが、時代によっては金の含有量やサイズに違いがあります。

幕府の財政難や金の採掘量の減少があった時代には、金を節約するために含有量やサイズを節約した小判が登場しました。

江戸時代が終わり、明治維新によってお金の単位が両から円に変わり、小判は廃止となったのです。

江戸時代以前の小判

名称発行年買取相場概要
駿河墨書小判 (するがすみかきこばん)文禄4年
(1595年)
〜数千万円丸い形の小判で、徳川家康か豊臣秀吉の中村一氏のどちらかが鋳造させたと言われている。
武蔵墨書小判 (むさしすみかきこばん) 〜300万円徳川家康が後藤庄三郎光次に作らせた小判。慶長小判の親とも呼ばれる。

※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。

どちらも、安土桃山時代に作られた小判として知られています。

鋳造された枚数が少ないうえに、別の小判に改鋳されたものも多く、現存している数が非常に少ないです。

そのため、買取金額は非常に高い傾向にあります。

江戸時代の小判

名称発行年買取相場概要
慶長小判金慶長6年
(1601年)
〜100万円金の配合率が高い立派な小判で、コレクターからの人気が高い。
元禄小判金元禄8年
(1695年)
〜200万円慶長小判2枚に銀を足して3枚の元禄小判を鋳造し、流通量を増やした。
宝永小判金宝永7年
(1710年)
〜100万円慶長小判と同じくらいの金品位で、大きさを小さくした小判。
正徳小判金正徳4年
(1714年)
〜250万円鋳造された期間がたった4か月であったため、希少価値が非常に高い。
享保小判金正徳4年
(1714年)
〜45万円正徳小判の代わりに登場した貨幣。なかでも佐渡で鋳造された佐渡小判は品質が高く価値も高い。
元文小判金元文元年
(1736年)
〜50万円発行枚数は多いですが、佐渡小判や献上小判などの場合は希少価値が高くなり、買取価格が上昇する。
文政小判金文政2年
(1819年)
〜50万円背面に「文」の文字が入ったやや大きめの小判。金の含有量が他の小判に比べて少ない。
天保小判金天保8年
(1837年)
〜15万円鋳造技術が向上したことで、今までの小判に比べて美しいのが特徴。
安政小判金安政6年
(1859年)
〜100万円鋳造期間が短期間であったため、希少価値が高い。
万延小判金万延元年
(1860年)
10万円前後金の含有量が少なく、サイズも小さい。

※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。

小判はそれぞれ大きさや金の含有量が違います。

また幕末に近い時代の小判は、海外に多くが流出していることもあり、希少価値が高くなっています。

慶長小判についてはこち

大判ってどんな貨幣?

慶長大判

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%88%A4

豊臣家の指示によって作られ始めたのが大判です。

一般的に流通していた小判と違い、主に贈答用恩賞用に使われました。

大判の歴史

天正16年に豊臣秀吉が鋳造を指示し、後藤四郎兵衛家によって作られたのが大判の始まりと言われています。

そして江戸時代には徳川家によって、大判が発行されました。

大判は金の含有量が多く、今で言う金インゴットのような扱いだったと言います。

そのため、あまりに高額だったことやサイズが大きすぎることから庶民に好まれず、あまり流通しませんでした。

ただし、多額の借金を返済する際には大判で支払うというのがマナーとされていたため、返済の際は金屋で大判を購入していました。

大判は「墨書き」があると高値に!

大判にはその重さや金品位を保証するために、一枚ずつに後藤四郎兵衛家のサインが記されています。

現在残っている大判の中でも、最初に墨書きが施された「元書き」の状態のものは価値が高く、買取価格も上がります。

また、墨書きをするのは後藤四郎兵衛家だけと決まっていて、もし消えてしまった場合には後藤家に手数料を支払って、上から書き直しをしてもらう「直し書」を行う必要がありました。

書き直しをした「直し書」のほか、後藤家以外の人間が上からなぞって書いた「後書」や「加筆」と呼ばれる大判は価値が低くなります。

代表的な大判

ここでは、代表的な大判を大きく6つに分けて紹介します。

※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。

天正大判

天正菱大判

豊臣家の命によって鋳造された初めての大判です。

菱形の枠の中に桐紋が入った印から、天正菱大判と呼ばれています。

現在残っているのは、世界で6枚だけという大変貴重な大判で、相場は~1億円になります。

天正長大判

大判の中でも特に縦長の形をしているのが天正長大判です。

希少価値が高く、買取相場は2,000万円以上になるでしょう。

大仏大判

地震や火災で崩壊した京都の方広寺大仏殿の再建に使うため、豊臣秀頼の命で鋳造されたのが大仏大判です。

このとき、釣鐘に豊臣家の繁栄を祝い徳川家を呪うことを意味すると解釈されるような文言が刻まれていたことが、大坂冬の陣のきっかけとなりました。

天正大判の中では現存数が多いですが、それでも1,000万円以上の価値があります。

​​慶長大判

天下統一を果たした徳川幕府によって、慶長6年に鋳造されたのが慶長大判です。

1601年から100年間に渡って作られていたため、同じ慶長大判でもいくつかの種類に分かれているのが特徴です。

なかでも墨書きが笹の葉のように見える慶長笹書大判は貴重で、人気も高いことから1,000〜2,500万円の値が付くとでしょう。

その他の慶長大判も500〜1,500万円と、古銭の中ではかなり価値が高いものとなっています。

元禄大判

金の含有量を減らして大判を作り直すことで余った財源を幕府が手に入れるのを目的に、慶長大判を改鋳して作られたのが元禄大判です。

金品位を落としたことで発行枚数は増えますが、他の大判や小判に改鋳されたものも多いので現存数は多くありません。

現在の相場は1,000万円前後が目安で、墨書きの状態がよい場合にはさらに高値が期待できます。

享保大判

享保11年に鋳造された享保大判は、その後130年ほど流通していました。

元禄時代には金の含有量を減らして枚数を増やしましたが、それによりインフレが発生します。

その対策として、享保大判は金を慶長大判と同じくらいの比率で使用し発行枚数を減らしました。

それまで贈答や恩賞に使われていた大判ですが、享保大判は通貨として使われていたことから、墨書きや状態のよいものが残っているのはとても珍しいと言えます。

墨書きが残っていないものや、上から別の人が重ねて書いているものだと買取価格は50万円前後になるでしょう。

しかし、状態がよいものであれば150〜300万円前後の価値がある場合もあります。

天保大判

享保大判と同時期に鋳造されたのが天保大判です。

大判を作っていた大判座(後藤四郎兵衛家が開設した組織の通称)の財政難対策のために発行された貨幣で、発行枚数がたった1887枚と少なく、現存するものはわずかです。

買取相場は150万円前後ですが、状態のよさや墨書きが鮮明に残っているものであればさらに高額が期待できます。

万延大判

江戸時代最後の大判である万延大判は、2年間という短い期間のみ鋳造されていました。

しかも、明治維新の際に溶かされてしまったので、現存するものは本当にわずかです。

今までの大判に比べると金品位が低いのですが、希少価値が高く歴史的な価値もあります。

買取価格は大体50〜100万円前後、状態がよく、墨書きが美しい場合には200万円を超えることもあるでしょう。

金の価値について

小判が流通するまで

慶長小判

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%88%A4

最も古い貨幣は7世紀頃に発行された「無文銀銭」

日本最古のお金といえば「和同開珎」や「富本銭(ふほんせん)」が知られていますが、実はそれよりも前の時代である近江朝時代(667〜672年)に「無文銀銭」という銀貨が存在していました。

しかし存在していたとはいえ、一般に流通していた貨幣ではなく私的に作成したものだと言われています。

無文銀銭は滋賀県や奈良県、京都の遺跡から発掘されていますが、枚数が少なくとても貴重です。

貨幣制度は1度途絶えた!?

日本で一般に貨幣が流通するようになったのは、708年に発行された和同開珎が始まりです。

そして958年の乾元大宝まで、「皇朝十二銭」と呼ばれる12種類の貨幣が発行されました。

しかし、銅の産出量が少なくなって質が下がった貨幣は、その価値が低下してしまい、市民の間で使われることが少なくなっていきました。

そのため日本国内での貨幣制度は、958年発行の「乾元大宝(けんげんたいほう)」を最後に途絶えてしまいます。

再び貨幣が使われるようになったのは12世紀後半で、中国から貨幣が輸入されるようになり、宋銭永楽通宝という銅銭が使われるようになったのです。

永楽通宝について

大判・小判の登場

安土桃山時代の天正16年に豊臣秀吉によって作られたのが始まりの大判と小判は、最初は大名や公家の間で使われていました。

それが江戸時代に入り、徳川幕府が貨幣制度を全国統一にすることを試みたことで庶民の間にも流通するようになったのです。

大判や小判に加えて一分金や丁銀、豆板銀などの金貨銀貨も鋳造し、三代将軍の頃には銅貨も作るようになりました。

金貨について詳しくはこちら

銀貨について詳しくはこちら

まとめ

風呂敷と大判

現存するものが少ない天保小判は、日本だけでなく海外のコレクターからの人気も高い古銭の一つです。

天保小判は古い時代のものでその価値を見極めるのがとても難しいため、買取を検討している場合には、古銭に詳しい査定士のいる買取専門店に依頼するのがおすすめです。

ウリエルでは一つひとつ丁寧に査定させていただきます。

査定料やキャンセル料、出張料などはすべて無料なので、どうぞお気軽にお問い合わせください。

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