山下財宝と呼ばれる丸福金貨とは?軍用金として作られた歴史や買取価格相場、高く売るポイントもご紹介
丸福金貨は「福」の一文字が刻印されたシンプルなデザインでありながら、存在感の大きな硬貨です。
丸福金貨以外に「幻の金貨」や「山下財宝」などとも呼ばれていることで有名です。
ここでは丸福金貨の価値や高く売るポイントをご紹介します。
査定依頼や買取依頼をしたいときは、ぜひウリエルへご相談ください。
丸福金貨とは?歴史や製造元を解説
丸福金貨は戦時中に製造された金貨のため、誕生するまでの歴史には諸説あります。
ここでは丸福金貨の歴史や製造地などさまざまな視点で見ていきましょう。
丸福金貨とは
丸福金貨は「幻の金貨」や「山下財宝」とも呼ばれています。
なぜ、幻の金貨や山下財宝と呼ばれるようになったのでしょうか?
呼ばれるようになった由来は諸説ありますが、ここではその内の一説をご紹介します。
第二次世界大戦も終わりごろになると、軍事物資を製造するのに必要な白金が不足していました。
さらに、軍が発行していた軍票と呼ばれる紙幣は信用がなくなっていて、海外から白金を買い付けることができない状態になっていたのです。
代案としてフィリピンの華僑と取引をするために丸福金貨を製造することになりました。
そして丸福金貨は、軍事司令官だった黒田徳重中将が日本から空輸し届け、送金された丸福金貨は山下泰文大将を筆頭とした旧日本軍がフィリピン華僑財閥とやり取りに使うはずでした。
しかし戦争はますます激しさを増したため、フィリピン経由で日本に海上輸送をする予定を、一度フィリピン内に隠しておき終戦後に回収する作戦へと変更されました。
その後肝心の丸福金貨はというと、関係者が戦犯として処刑されたため、隠し場所の情報を知る者がいなくなってしまったのです。
一方で、山下司令部には700枚の丸福金貨があり、終戦直前に将兵に配られたと言われています。
日本軍が退却した道は「黄金の道」と呼ばれるようになり、破壊された日本軍が所有していたトラックの周囲は丸福金貨を求めて掘り起こされました。
これが、「幻の金貨」や「山下財宝」と呼ばれるようになった由来と言われています。
丸福金貨の製造地や製造元
さまざまな謎がある丸福金貨ですが、製造地や製造元も諸説あります。
候補として大阪造幣局・石福商店・徳力本店・満州中央銀行製などが上がっていました。
その中でも最有力候補の石福商店は、ある書籍ではっきりと製造元であるとの記載が見つかっています。
当時、石福商店は大阪造幣局の指示で、丸福金貨を製造したとの証言を得ることができたのです。
それまで謎だった製造元はこの証言のおかげで石福商店と判明しました。
また、製造地については、石福商店は上海に工場があり上海で製造されていたという説もあります。
しかし、一民間企業が海外で硬貨を製造することは極めて異例なことであったため、上海工場説は可能性が低いと言われています。
そこで、「海外で収集した金銀は軍事用品という名目で石福商店の本社工場に送られていた際、一緒に丸福金貨も送られていたのでは」と仮説がたてられました。
このように製造地は未だにはっきりとわかっていません。
丸福金貨によるトラブルも頻発
丸福金貨は旧日本軍の財宝と呼ばれているため、トラブルが頻発した経緯があります。
2007年には丸福金貨をめぐってフィリピン国内でトラブルが頻発したため、山下財宝探しの規制を強化しました。
具体的には以下の内容です。
【探すための手続き】
フィリピン政府の「環境天然資源省」へ10,000(約20,000円)ペソの手数料を払うこと
【見つかったときの権利配分】
文化遺産と判断されたとき | フィリピン政府がすべて没収する |
公有地で発見されたと | フィリピン政府が75%、発掘者が25%に配分する |
私有地で発見されたとき | フィリピン政府が30%、発掘者と地主に70%を配分する |
この他に、山下財宝探しができる対象者は「フィリピン国民」または「資金保証のある団体(外国人でも可能)」です。
また、地主などの事前の許可が必要になったり土地保全のための保証金の供託義務も発生したりします。
2015年7月にはアラカン市(ミンダナオ地方北コタバト州)は、環境保護のために独自ルールとして「発掘禁止地区指定」を決め、指定されている地区では発掘ができなくなりました。
このようにフィリピン国内では山下財宝探しは簡単にできない環境にし、トラブルが発生しないように対策をとっています。
丸福金貨の見た目と種類
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%
B8%8B%E8%B2%A1%E5%AE%9D
丸福金貨のサイズは直径が30.54mm・重量は31.0g・品位は24Kで、「福」の一文字だけが刻印されているシンプルなデザインです。
また、福以外にも「壽」「囍」「禄」「富貴萬年」のデザインもあります。
シンプルなデザインになった理由は町の鍛冶屋でも確かな品質や重量を出すことができるようにし、デザインにこだわらなかったためです。
しかし、異なるデザインが使用された理由は、石福商店が金貨を製造した際に管理記号として、福以外の文字も使っていたのではないかと考えられています。
丸福金貨の価値、買取価格相場は?
とても人気のある丸福金貨ですが、当時と今の価値の違いをご紹介します。
まず、当時の価格で3万円だった金貨は、2008年時点での価値が20万円程度に上がっています。
この価格は金の価格と比べると3倍近くの高値が付いています。
しかし、デザインが単純な福や壽・囍・禄・富貴萬年のため、偽物を作りやすい金貨で鑑定が難しい商品です。
そのため、投資目的ではなく趣味程度で集めるための金貨に適しています。
※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。
丸福金貨を高く売るには?
丸福金貨はどのような条件であれば高く売れるのでしょうか?
3つポイントをご紹介するので参考にしてください。
保存状態はよいか
経年劣化や保存している環境などで汚れ・カビ・シミなどが付いてしまうと、いくら貴重な商品であっても、買取価格は下がってしまいます。
丸福金貨もよほどの状態でなければ買取は可能ですが、傷・破損・汚れなどの程度によって価格が左右されます。
可能な限りきれいな状態で査定に出すことが大切です。
ただし、汚れや傷などがあるからといって、自分で洗浄や修復をすると余計に状態が悪くなる可能性があるので、修復はせずそのままの状態で査定に出しましょう。
また、もう少し時期を考慮して査定に出すことを考えている場合は、今の状態より悪くしないために専用のコインケースなどに入れて保存することが大切です。
コイン用ケースならコインを入れる場所が決まっています。
また、ケースによっては保護カバーが付いていたり、アルバムタイプはポケットのように仕切られたりしています。
少しの傷や汚れなどで価値が大きく変わることもあるため、大切に保存しましょう。
鑑定書など付属品も一緒に
特に丸福金貨は贋作を作りやすい金貨であるため、査定する側も判断が難しい商品です。
そのため、鑑定書(ギャランティカード)があると本物と判断でき、買取価格が高くなる可能性も出てきます。
たとえば、付属品と本品がセットであれば高い買取価格が付きますが、付属品がなかったり状態が悪かったりすると買取価格に影響します。
ただし、鑑定書(ギャランティカード)や付属品を紛失していても買取をしてもらえないわけではありません。
もし鑑定書などがなくても査定は行えますのでご安心ください。
買取専門店で売る
査定から買取までは買取専門店で売るのがおすすめです。
不要なものはリサイクルショップやフリマアプリで売ることができます。
しかし、これらの方法ではその商品の価値を正しく判断するのが難しくほとんどの場合、適正価格を付けることができません。
専門店であれば知識と経験がある査定士が対応するため、適正価格を出してくれます。
ただし、買取専門店によってチェック項目が異なるため、複数社で査定をしてもらい一番高く買取をしてくれる専門店に売りましょう。
丸福金貨をお持ちの方はウリエルへ!
幻の金貨や山下財宝などとも呼ばれる丸福金貨は、フィリピン国内では探すためのルールや見つけたときのルールを政府が決めなければいけないぐらい、人々が熱狂した金貨です。
簡単なデザインで贋作があるため、査定が難しい金貨でもあります。
そこで、ウリエルなら専門知識をもつ経験豊富な査定士が対応します。
丸福金貨の買取を検討している方は、ぜひ一度ウリエルにご相談ください。
2つの買取方法