慶長小判の価値や買取相場を紹介!江戸時代に発行された大判・小判の種類や特徴とは
慶長小判は江戸時代の始まりとともに、徳川家康により発行された小判です。
非常に希少価値が高い小判であるため、精巧に作られた偽物も多く出回っています。
買取専門店ウリエルでは、そのような見極めが難しい古銭もプロの査定士が正確に価値を判断します。
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慶長小判とは
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%
B7%E5%B0%8F%E5%88%A4
江戸時代初期にあたる慶長6年に、徳川幕府によって初めて作られた貨幣の一つが慶長小判です。
歴史
徳川家康が天下統一を果たすまでは、日本各地の戦国大名がそれぞれに貨幣を鋳造していました。
幕府は貨幣制度を整え、全国共通の貨幣を流通させるシステムを構築するために、まずは質のよい小判を作ることにしたのです。
このとき鋳造されたのが慶長小判で、約94年間に渡って作られたと言われています。
小判の鋳造を請け負ったのは、江戸幕府が倒れ明治の時代になるまでの間、小判や大判などの鋳造を請け負っていた後藤家の後藤庄三郎光次という人物でした。
江戸時代にはさまざまな小判が発行されましたが、なかでも慶長小判は金の含有率が高く、発行枚数が少なかったと言います。
そのため、大量生産に向かない慶長小判は、元号が変わった元禄に金の含有率を下げて改鋳されることになったのです。
特徴
慶長小判は江戸や京都、駿河などの製造場で鋳造された後「金座」に持ちこまれ、その品質や量目の後藤庄三郎光次によって確認が行われました。
認定を受けることができた小判にはその証として、裏面に「光次」の印と花押が刻印されます。
また、慶長小判の表面には「茣蓙目(ござめ)」と呼ばれる細かい横向きの縞が入っているのも特徴の一つです。
90年以上の間作られましたが、初期のものほど茣蓙目は細かく入っているため、鋳造された時代を見分けることが可能です。
サイズ
慶長小判のサイズは、縦が69〜73mmで横が38〜39.5mmです。
鋳型を使って作るのではなく、材料の塊を叩いて伸ばしてからハサミで小判の形に整えるため、サイズはそれぞれ微妙に異なっています。
また、規定品位と量目も決められていて、流通している間に折れたり欠けたりしたものは金座で修理が行われました。
量目とは重さのことで、1枚4匁7分6厘と決められています。
現代の単位に換えると17.76g程度です。
規定品位とは混合物の割合を示すもので、初期は52匁程度、その後は50匁7分程度と変更されました。
つまり、初期には84.6%だった金の含有率が、そのあとには86.79%に上昇したということです。
慶長小判の買取相場
ここでは慶長小判の相場について見ていきます。
お手元に慶長小判をお持ちの方はぜひ参考にしてください。
※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。
慶長小判(江戸座・京都・駿河座)
慶長小判には鋳造された金座の印として「極印」が裏面に入っています。
どの極印が入っているかで作られた場所が判断できるのです。
極印の種類は以下の通りです。
・江戸(江戸座) ・京都(京座) ・駿河(駿河座) |
しかし3つの極印は、見た目では違いがわかりにくいため、専門の査定士に確認してもらう必要があります。
買取相場は、使用感のあるものでも〜40万円になり、状態がよいものであれば〜150万円ほどの価値が期待できます。
慶長小判の古鋳(大判槌目)
慶長小判が作られる1年前、安土桃山時代に作られていた武蔵墨書小判の墨書を極印に差し替えたものが慶長小判の古鋳です。
慶長小判よりも縦に長い形をしており、横じまの槌目(つちめ)は慶長小判の断面がV字なのに対して慶長小判はU字になっています。
発行された枚数が少なく希少価値も高いので、買取価格は100〜450万円ほどが期待できるでしょう。
慶長小判の当時の価値
江戸幕府は慶長14年に御定相場という金貨や銀貨、銭の法定平価を決めました。
金1両=銀50匁=銭4貫文(4,000枚)と決められましたが、江戸と大阪の間での経済活動が行われる際に金相場や銀相場を変動させていたため、実際には勘定相場は定着することはありませんでした。
目安としては、慶長小判は現在の価値にすると1枚15万円ほどなので、千両箱1つで1億5,000万円前後の価値があります。
慶長小判を高価買取してもらうには
自分で磨かない
古銭はピカピカの状態のほうが高値で買取をしてもらえるのでは?と思う人もおられるかもしれませんが、自分で慶長小判を磨くのはやめましょう。
慶長小判は400年以上前のもので、力を入れて磨いたり洗浄剤を使ってしまったりすると余計に傷が付いてしまう可能性があるのです。
ホコリや直射日光を避けるために箱に収納し、湿度が高くない場所に保管しておくのがおすすめです。
偽物やレプリカに注意する
慶長小判はとても人気のある古銭のため、レプリカや偽物も多く出回っています。
本物を模造したレプリカだと理解したうえで手に入れるのであれば問題ありませんが、買取に出すのであれば、それが本物なのかは知っておく必要があります。
鑑定書付きであれば素人でも判断は可能ですが、慶長小判のような歴史ある小判が鑑定書付きで見つかることは、あまり多くはありません。
ただし鑑定書がない場合や、レプリカとはいえ金で作られた慶長小判であれば買取が可能である場合もあるので、自分で判断するのではなく、プロに買取査定を依頼して見極めてもらいましょう。
偽物と本物の見分け方
偽物と本物を見分けるために、磁石を使って確認する方法があります。
慶長小判は金の配合率が高く磁石にくっつかないので、磁石に反応するのは偽物だと言えます。
また慶長の時代に作られた偽物の場合、鋳造技術が低いことから、長い年月の中で劣化が進み、もろくなっているケースもあるでしょう。
さらに偽物を製造する際、計量器を使って正しく模造しているわけではないので、小判の重さも見分ける方法の一つです。
とはいえ、高い技術を駆使して細部にわたって本物と近いように作られた贋作も存在します。
偽物と本物を見分ける際には、古銭について詳しい査定士に確認をしてもらうほうがよいでしょう。
専門店に依頼する
小判は素材である金の価値に加えて、古銭として高い希少価値があるので、買取価格は高値になる傾向があります。
しかし、古銭に詳しくないお店に査定に出してしまうと、その価値がわからず、価値に見合った価格が付かないこともあるので要注意です。
信頼できる査定士が在籍する専門店で見てもらい、慶長小判の価値に見合う金額での買取をしてもらいましょう。
2社以上に査定してもらう
たとえプロでも、業者や査定士によって査定金額が異なることは少なくありません。
慶長小判は貴重で高価なものなので、数万〜数十万円の違いが出ることもあります。
複数の業者で査定を行い、納得のできる金額で買取に出すようにしましょう。
大判・小判の歴史や種類
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%
95%B7%E5%A4%A7%E5%88%A4
大判・小判は主に江戸時代に流通していた
大判のほうが歴史は古く、安土桃山時代に豊臣秀吉によって鋳造された「天正大判」がありますが、実際に流通されるようになったのは江戸時代に入ってからのことでした。
全国の貨幣を統一するために、徳川家康が金・銀・銅の3種類の貨幣を用いた「三貨制度」を施行し、大判と小判の鋳造を行なったのです。
大判は表面に墨書きが入っているのが特徴で、贈答用や恩賞用として使われました。
それに対して小判は、身近な貨幣として日常的に使われていたと言います。
サイズの違いや手描きと極印などの違いから、日常的に使用されていた小判のほうが鋳造されやすく、流通していたことが伺えます。
大判の種類
主な大判の種類と一緒に買取相場も見ていきましょう。
※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。
天正大判
天正大判は、安土桃山~江戸時代の初めに作られた日本最古の大判です。
天正菱大判、天正長大判、大仏大判の3種類があり、数ある古銭の中でも希少価値が最も高く、買取相場が高いことでも知られています。
世界に6枚しかないという天正菱大判は、現在7,000万円以上の価値があり、その他の天正長大判や大仏大判も1,000万円以上の価値があります。
慶長大判
慶長6年(1601年)から100年間鋳造されていたのが慶長大判です。
金の含有率が高く、高価な貨幣として現在もとても人気があります。
発行されていた期間が長かったことから、さまざまなタイプの慶長大判が存在しますが、墨書きが笹の葉に似ている「慶長笹書大判」は特に価値が高く、買取金額も1,000〜2,500万円ほどと高額で取引されます。
それ以外の慶長大判でも買取相場は〜1,500万円ほどと、高値が付く場合がほとんどです。
元禄大判
元禄に入って佐渡金山が衰退したことによる金不足に加えて、海外との貿易で金が流出していたこと、さらに徳川幕府の財政難もあって、元禄大判は慶長大判を改鋳し金の含有率を大幅に下げて作られました。
人口が増えて貨幣の需要も高まっていたことから発行枚数は増加傾向にありましたが、金を減らして作っていることによって、現在まで残っているものは少なく、貴重な古銭として高い価値があります。
買取相場は1,000万円前後で、状態がよいものであればさらに高額が期待できるでしょう。
享保大判
享保11年に発行されて、130年ほどの間通貨として流通されていたのが享保大判です。
元禄の時代に金品位を落としてたくさんの貨幣を発行した結果、物価が上がりインフレが発生しました。
そのインフレを改善するために、今度は金品位を高めた享保大判を発行したのです。
このとき発行された枚数は8,500枚と少なく、また長い期間流通していたこともあり、状態がよいものは貴重です。
現在の相場は50万円前後、墨書きが残っているものなどであれば150〜300万円前後になるでしょう。
天保大判
元禄大判と同時期に流通していた天保大判は、大判を作る「大判座」の財政難に対応して作られた貨幣で1,887枚が発行されました。
表面の槌目の模様が幅広いのが特徴で、レプリカや偽物も多く出回るほど人気があります。
買取相場は~150万円前後で、状態がよい場合には300万円以上の高値が期待できるでしょう。
万延大判
日本最後の大判ということで、歴史的に価値が高いのが万延大判です。
万延元年からの2年間発行されて、明治7年に明治維新が起こる前まで流通していました。
明治新政府による貨幣制度の改革により、大判は溶かされて新しい貨幣の材料になったため、現存するものは大変貴重です。
現在は50〜100万円前後で買取をされる場合が多く、墨書きが残っているような美しいものであれば200万円以上の価値が付きます。
小判の種類
続いて小判の種類とその相場について見ていきましょう。
※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。
駿河墨書小判
文禄4年に日本で最初に鋳造された小判が駿河墨書小判です。
徳川家康の命によって作られたという説と、豊臣秀吉の家臣の中村一氏によって作られたという説があり、いまだに実際どちらによるものかがわかっていません。
現在残っているものが非常に少ないことから、買取相場は〜1,000万円以上になると言われています。
武蔵墨書小判
文禄5年に徳川家康が後藤庄三郎光次に命じて作ったのが武蔵墨書小判です。
本格的に貨幣を流通させるための試作を兼ねていたことから、発行枚数も多くはありませんでした。
そのため、現在の買取相場は100〜300万円前後と高額になっています。
元禄小判
元禄小判が登場したのは元禄8年のことで、その頃日本では金の産出量が減り、貨幣の材料を確保するのが難しい状況でした。
また、明暦の大火で焼け野原になった江戸を復興させるためにたくさんのお金を使っていたことから、幕府は財政難に陥っていたため、慶長小判を改鋳し金品位を落とした小判を発行したのです。
発行枚数は多いのですが、質が悪く、現在まで形を残しているものはあまり存在しません。
現存する数が少ないため、希少価値が高く、買取相場は〜200万円ほどになるでしょう。
宝永小判
金品位を落として発行枚数を増やした元禄小判に代わって、宝永7年から流通したのが宝永小判です。
質の悪い元禄小判は折れたり割れたりすることが多かったため、元禄小判は金品位を高くする代わりに、サイズを小さくして鋳造されました。
しかし、最初は額面1両の小判として発行されていましたが、サイズが小さいことから途中で2分(半両)の価値に下げられました。
買取相場は〜100万円ですが、小判を鋳造した際に入る極印が「大」と「吉」になっているものには希少価値があり、60〜350万円で取引されます。
正徳小判
正徳4年に発行された正徳小判は、貨幣の価値が下がり物価が上がり続けるインフレの状態を打開するために、慶長小判と同じ金品位と量目の小判として作られました。
しかし、実際には慶長小判よりも金品位が低いことが市民に知られてしまい、不満が噴出してしまいました。
そのため、わずか4か月で鋳造が終了した正徳小判は、発行枚数が少ないことからとても貴重な小判として、50〜250万円の買取価格が付きます。
享保小判
正徳小判がたった4か月で終了してしまったため、同じ時期から鋳造され始めたのが享保小判です。
宝永小判や正徳小判を改鋳して金品位を高めた小判に作りかえましたが、その作業のために流通する小判の量が少なくなってしまい、米をお金に換えることができないデフレの状況になったと言います。
歴史的な価値が高いことから、現在は35〜45万円で買取されています。
元文小判
金の含有量を高めた享保小判によって米の価格が下がりデフレが広まったため、今度は金の含有量を大幅に減らした元文小判が大量に発行されます。
その後、貨幣の流通量が急増したことによるインフレも収まり、元文小判はおよそ80年間流通しました。
買取相場は〜50万円前後で、幕府に贈られた献上小判などはさらに価値が上がり20〜700万円の値が付くこともあるでしょう。
文政小判
文政2年から鋳造された文政小判は、幕府の財政難を立て直すため、老中の水野忠成によって行われた貨幣制度の改革時に登場しました。
江戸時代に発行された小判の中でも最も金品位が低い貨幣でしたが、この改革によって幕府の財政が安定し、経済も活性化することができたのです。
海外との貿易で流出したものも多く、現在残っている数が少なく貴重であることから、買取価格は10〜50万円となっています。
天保小判
長雨や冷害などの異常気象が原因で起こった天保の大飢饉(だいききん)によって、修復に多額のお金を使った幕府は、新たに天保小判を鋳造しました。
それまでは手作業で金を伸ばして作っていましたが、ローラーを使う手法に変更したことで、天保小判は他の小判よりも見た目が美しいものになっています。
買取価格は〜15万円前後で、献上判だと70万円前後の価値があります。
安政小判
黒船でやってきたアメリカの外交官ハリスとの取引で、小判が大量に海外へ流出してしまう事態になったことから、対策として貨幣に含まれる金銀を減らして作られたのが安政小判です。
しかし、この政策がアメリカ側に知られてしまい、鋳造は中止せざるを得なくなり、たった3か月しか流通しませんでした。
そのため、発行枚数も少なく、買取価格は10〜100万円前後と高額になっています。
万延小判
アメリカとの日米修好通商条約によって、アメリカに有利になる条件でたくさんの小判がアメリカの銀貨と交換されてしまい、日本のお金が減ってしまいました。
そこで、安政小判に代わって鋳造を始めたのが万延小判です。
万延小判の登場でアメリカへの小判の流出を防ぐことはできましたが、小判の価値が下がってしまったことで、財政難に悩む徳川幕府の終焉が近づくきっかけとなりました。
現在は6〜10万円前後で買取されています。
まとめ
江戸時代の始まりから90年も流通していた慶長小判は金の配合率が高く、歴史的な価値に加えて金としての価値も高い古銭です。
希少価値も高く、コレクターからの人気もあるので偽物も流通しています。
本物かどうかわからない慶長小判がお手元にあるという場合は、ぜひお気軽にウリエルの無料査定をご利用ください。
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